親子関係が良くないのに保育士になりたいと思うなんて、おかしい
毒親育ちは優しい保育士になれるのか、不適切保育をするのでは?
など疑問があると思います。
現在、子どもを保育園、幼稚園、子ども園、託児所に預けている方、
毒親育ちだけど保育士、幼稚園教諭、養護教諭、小学校教諭などの就職を考えている方に向けて
私の生い立ちも少し交えながら、一つの事例として参考にしていただけたらと思います。
1.周囲に助けてもらって育ったから
2.消去法
3.ピアノを習っていたから
詳しく説明していきますね。
1.周囲に助けてもらって育ったから
私の母親は、当時から過疎化が進む田舎に住み、学校も峠を越えなければならないほどの山奥で育ちました。
なので、30代の私でさえ「何時代から来たの?」と疑いたくなるような、田舎特有のルールをたくさん持っており、特に、「子どもは親に口答えせず、黙って言うことを聞くもの」という考えが根幹にあったため、大人になっても健全な話し合いができず、なかなか苦労しました。
元々、頑固で感情の起伏も激しく、多動性、衝動性、自閉性があり、小さい頃から「面白い」「個性的なお母さんだね」と言われることが多かったです。
その上、当時はまだ学校でも体罰は許されており、親から外に締め出されたり、叩かれたりしても通報されませんでした。
そのおかげか、私も人間関係では小さい頃からとても苦労しました。
でも、中学2年生になった頃から、少しずつ友達との距離感や関係性を保てるようになってきて、学校へ行くのが楽しみになりました。
両家の祖父母も優しく、中学、高校の部活の顧問や担任もとても親しみやすい先生ばかりでした。
年齢を重ねるごとに、自分も学びながら成長したことで周囲に優しい人が増え、人と関わることが幸せに感じるようになりました。
2.消去法
毒親育ちには、残念ながら自主性はあまりありません。
親や先生の顔色を伺いながら、「学力が足りないと言われないかな?」「お金が足りないと言われないかな?」とレベルの高い大学や県外の私立は除外していきました。
親からは「手に職を付けるためには資格が取れるところにしなさい」と言われていたので、最終的に文系で人と関わる仕事で、資格を取れる大学は介護か保育しか思いつかず「それなら保育かな」と選びました(笑)
私の兄は「長男は実家を守る責任がある!」と県外の大学へ行くことを母親から固く禁止されていました。
国公立の大学への進路を強く勧められていた兄は結局反発し、県外の専門学校へ行くことを決めたのですが、その時兄に毎日泣きながら怒鳴っていたのを近くで見ていたので、私の時はまだ自由だったのかなと思います。
ちなみに母はその時、そのことがショックで円形脱毛症になりました。
3.ピアノを習っていたから
母の夢だったらしいです。
私の今の家には、母の夢だったピアノと桐箪笥に入った着物一揃えが置いてあります。
実家はもちろん裕福ではなく、仕事の続かない母親ですからむしろ貧しい方でしたが、近所がどうとかプライドがどうとかで揃えてくれました。
狭い家を圧迫していますが、拒否権はありませんでした。
話は逸れましたが、母の勧めで、言われるがまま小学1年生からピアノを始め、中学3年生まで続けました。
先ほどの進路の話で、介護職と保育職で迷っていた時「保育なら習ってきたピアノを活かせるのでは」と思ったのも決め手の一つでした。
実際、仕事でもピアノが弾けることで助かったことは何度もありましたし、娘も現在ピアノをしているので結果よかったなと思っています。
まとめ
以上、毒親育ちが保育士になった理由でした。
壮大な理由がある人も中にはいるのかもしれませんが、自信や自己肯定感が低いと消極的に選びがちだと思います。
日頃から「どっちでもいいよ」「お母さんが決めて」など、自分で調べたり選んだりする習慣がないと優しさと裏腹に進路の際に迷うことになるかもしれません。
でも、自信を持って行動できている、楽しく生活できている、好きなことや夢中になれることがあるならきっと大丈夫です。
次回は「毒親育ちは保育士になれるのか」というテーマで書いてみたいと思います。
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